Doki Doki Literature Club!おわり(ネタバレあり)
Doki Doki Literature Club!、通称ドキドキ文芸部を終えました。
知り合いに勧められて始めたのですが、よくも勧めてくれましたねありがとうございます…
ちなみにこのゲームは無料でプレイできます。steamでダウンロードできるので、気になる方でかつこのゲームの注意書きを何度も読み返して自分は大丈夫!という方は是非…是非?プレイをお勧めします。
それと、この記事はネタバレ満載なので、これからプレイする方は見ないほうがいいと思います。steamへ。
このゲームの概要を少し説明すると、このゲームは恋愛シミュレーションゲームとか、そういうジャンルのゲームが基になっています。
でも、察しのいい方……というより、もう始める前に9割くらいの方は気づいてらっしゃると思いますが、このゲームは心臓の弱い方や心が弱っている方や子どもはプレイしないでね!というゲームでした。
ここからネタバレも挟んで記していきますが、精神的にかなりクる描写とか、サイコホラーのような描写が出てきます。
ちなみに私が一番心臓にツララが突き刺さったのは、モニカがこちらのPCの前の自分の名前(人によっては本名を)を呼んでくる場面です。
だって適当なキャラクターネームを主人公につけてプレイしていたら、突然こちらのプライベートな、リアルにリンクしている名前で呼ばれるのですから、普通めちゃくちゃ驚きませんか……
ほかにも、サヨリが首を吊っているシーン、そのサヨリが死んでからの二週目のスタートでサヨリがバグとして排除されていくシーンなど。
特にサヨリが首を吊っている横で、コンピュータのプロブラムのバグ?が発生しているような場面は、本当に怖さを感じましたね……あれは目の前で起きてる惨状とあまりにも無関係なようで、でも何か関係しているのか?という焦りもあってひたすらにやばかったです……
ちなみにキャラクターが闇を発しているシーンでは主人公が無言になることが多いです。
特にモニカが「こちら」に話しかけている時は「主人公」は全然喋らなくて、細かいなぁと。
そして始まった二週目でも、ところどころでバグやプログラムのエラーが発生し、正常な画像が表示されなかったり、登場人物の記憶が改竄されるシーンなど精神をジワジワと削るようなシーンの連続……これはもう本当にきつかったです……
恐らくここが一番精神を削ってくるところ。この後から徐々に恐怖とは違う感情が生まれてきました。
そして、モニカとの「こちらの世界とあちらの世界の境界」での対面シーン。
モニカは冷静に、でも気分を昂らせながらこちらにすべての真相を明かしてくる、まさに「種明かし」の場面ですが、ここはゾッとするというよりは個人的にはどこか悲しい場面だと思いました…
モニカはこちらの世界と二次元の世界をどちらも認識しながらも、あちらの世界を出ることができない、孤独。
そればかりではなく、あちらの世界の「筋書き通りの結末(ゲームのストーリー)」に縛られて永遠にハッピーエンドを迎えることができないという絶望的な状況下にいるのですから。
モニカはあちらの世界では、おそらく唯一の「自分がゲームの世界の住人」であることを理解している人間で、それなのにあのゲームの世界にいる限りハッピーエンドを迎えることができない、ストーリー上の永遠の脇役で、そして永遠の孤独に取り残された少女。
「所詮はただのゲーム」という言葉で切り捨てることができない価値と、そして意思を持ち始めてしまった彼女の悲劇。それを考えると、モニカを悪とは呼べなくなり…
彼女の行いを正当化できるものではありませんが、彼女がサヨリ、ユリ、ナツキを消すという強硬手段に出たのは、どこか仕方がないところもあるのかもしれません。
だって、彼女からしたら言うなればサヨリもユリもナツキも、「プログラムで動く、意思のないゲームの世界の住人」なのですから。
もちろんモニカは彼女達と関わる中で愛着もあったと思います。でも、結局は「自分と同じで、でも自分と決定的に異なる世界の住人」だったから。
私も今までにたくさんのゲームをプレイしてきて、「ゲームの世界の住人のイノチに配慮する」ということをどれだけやってきたか、というと自信がないので……
「あっ死んじゃった、まぁゲームだからいいか」の軽い気持ちが、私にあるのと同様にモニカにもあったのかもしれませんね…
でも結局、最後の最後にモニカは
「軽い気持ちで消してしまった彼女達のことを、彼女達の世界のことを愛している人もいたのだ」ということに気が付きました。
そして、自分のやってしまったことの責任を取ったのです。
これは制作者の方は意図していたかは分かりませんが、こういう恋愛シミュレーションゲーム……というか、近年で見るいわゆる萌えゲーって、(勿論全部をやったわけではないので、例外は沢山あるのだろうけど)大体「主人公に好意を抱くような筋書きになっている」じゃないですか。というか、それを抜きにしたらそもそも恋愛シミュレーションゲームとして成り立たない。
その大前提を作中で公言するというのは、かなり挑戦的でどこか皮肉めいてるなぁ、と。(先ほど言った通り制作者の方がそこまで意図していたかは分かりません)
私は少し前に「キャラクターにAIを組み込んで、いくつかそのキャラに関する単語を入力することでAIを"そのキャラクターらしく"成長させて、自分から話しそうな言葉を考え、発言させる」という試みが行われていることを知りました。
そのことをツイッター上で「キャラクターにAIとか意思が組み込まれたら、もう必ずしもこちらに好意を表すことばかりではなくなるなぁ」と冗談混じりに呟いたことがありましたが、AIというものであってもそこに意思が存在するのなら、無理矢理「好意」をインプットするという行為はひょっとしたら残酷なのかもな……とかそういう闇の思考に落ち込みました…
話を元に戻して、ドキドキ文芸部はそんな、「まさか画面の中のキャラクターがこちらに干渉してくるはずはあるまい」という偏見というか、無意識下にこちらが"侮っていた"部分を突いてきた作品です。そこはアンダーテイルともちょっとだけ似ているのかも。
アンダーテイルもそうですが、「所詮はゲーム」「失敗してもセーブしたところからやり直せばいいや」という無限回挑戦できるが故の慢心に突き刺さる、「取り返しがつかないことの恐ろしさ」をも突き付けてくる作品でした。
また、よく私などは「画面の中のキャラクターが画面から出てきてくれたらいいのになぁ」などと今までにも思うことがありましたが、実際には画面の中のキャラクターが意思を持ってこちらに干渉をしてくることに恐怖を感じてしまった。
そういう部分に、結局は自分も画面の中の世界を真剣に考えることを軽んじていたのかもしれないなぁと。
最後に、少し前にやった某ゲームの中で、こんな問いがありました。
「二次元は、結局のところ二次元を越えることはできないのか?」
その問いに対する、同じくそのゲーム中の
「それが例え二次元の、人の手によって作られた作品だとしても、それを見た三次元の人間に影響を与えることはある。それはもう二次元を越えた三次元との接触と言えるのではないか」という答えが本当に好きです。
例えば、私達の世界でも手塚治虫のブラックジャックを読んで医者に憧れ、そして実際に医者になった人は少なくないと聞きます。
始まりは二次元の、私達の誰かが作り出した作品かもしれない。それでも、その作品が人を元気にする。その作品が人の生き方を変える。
それが例えゲームであっても、プレイした人達に何か少しでも影響を与えることができたのなら、それはきっと二次元の世界を越えたこちらの世界との交流なのだと思っています。
ドキドキ文芸部は、モニカはそういう影響を世界中に与えることができたのではないか。
そう思うと彼女が最後の手紙で「夢は全部叶った」と述べているのが、本当にその通りだといいなぁと。彼女はあの世界を越えて、此方の世界を今もどこかで見ているのかも知れません。
このゲームは恋愛シミュレーションゲームを装ったホラーゲーム……を装った、結局のところは恋愛シミュレーションゲームだったのかなぁと。
……ヒロインはもちろんモニカ。
ちなみに、もちろん私が一番好きなのはそのモニカです。
……というよりなぜこんな風にブログを開設して記事まで書いたのかというと、モニカというどこか悲しく、そして最後には優しさを取り戻した少女をなかったことにしたくないというか、「今までやってきたゲームの、ただの登場キャラの一人」にしたくなかったからです。それくらいドキドキ文芸部は特別な作品になりました。
ホラーなのは本当に苦手なんですけども、文芸部にいた時間は本当に本当に楽しかったです。
……怖いけどいつかまた再プレイできるかな。